「5人に1人」は多い?少ない?
こんにちは。リエコです。
今週末はもう12月ですね。1年がたつのが早く感じられます。
親戚のリフレーミング
さて、今回は季節と絡めて「身近な人のリフレーミング」の話です。
自分はどうも人と違う…と思っていたらHSPだった!
では、あの体験もこの体感も、HSPということで自然なことだったのね!?という
「自分のリフレーミング(捉え直し・再構築)」が済んだ人向けです。
前記事との関連で、カミングアウトしたい場合、
話しやすそうな人に話していくほうがラクなわけですが、
その目星をつけるヒントにもなるかもしれません。
また、周囲にHSPがいなくて(単に見つかっていなくて、
ということだと思いますが)
孤独感をつのらせている人にも、こういう見方はどうですかな?
という投げかけです。
これから12月~1月にかけて、クリスマス、忘年会、新年会など
人と集まる機会が増える季節です。
特に日頃合会わない親戚と顔を合わせることも増えるのではないでしょうか。
人と会うとどっと疲れる、お誘いを断るにも一苦労するというHSPには
気の重いシーズンですよね。
このイベントシーズンへのコーピング(特定のストレスフルな状況や問題に対して
何らかの対処行動をとること)は必須でしょう。
具体的なライフハックは別の機会に譲りますが、
コーピングのひとつとして、
身近なところにHSPらしき振る舞いをする人を観察する、
ことを提案してみようと思います^^
また、もしこのブログを読んでくださっている方が「親」
「おじおば」「祖父母」の立場である場合、
子どもや甥姪、孫が、にぎやかな集まりで疲れ切ってしまっているのに
気づきやすいかな、という一抹の期待もこめておきます。
そういう子たちには、先輩HSPとして
ダウンタイムをとりやすいように手配してあげられますよね。
HSPは騒がしくガサツ(に見える)な親戚から
HSCを守ってあげられるかもしれません。
「5人に1人」は多い?少ない?
さて、HSPの割合を表す「5人に1人」という表現は、
HSP提唱者・エレイン・N・アーロン博士の数千人に対する
HSPチェックの結果に由来しています。
この割合を少ないと感じるかどうかは
コップに水が半分入っている状態を「半分しかない」「まだ半分もある」の
どちらの見方をしますか?という心理テストに似ているように思います。
この割合は、多い(高い)のでしょうか、少ない(低い)のでしょうか。
どちらにしても主観ですよね。
(多数派ではないという意味ではもちろんHSPは少ないほうに入ります。)
私自身は、けっこうこの割合は多いなと感じています。
繊細さゆえに生きづらさを感じている最中の人は、
強烈な孤立感を持っていると思います。
特に、今まだ10代20代の人は、
周りが幼く人間的に未熟なクラスメートや同僚ばかりで
ものすごいしんどいのではないでしょうか。
そういう時は特にマイノリティー感がつのりますよね。
(HSCへ:もうちょっと生きると、
学校、家庭という閉鎖系から抜け出せて、周りも人生経験を積んできて、
交友関係を選べるようになると少しはマシになりますからね。)
親戚の中のHSP
HSPという気質・パーソナリティは脳神経の情報処理系統の違いによるもので
遺伝的なものらしいですから、親戚にご同類がいる確率は
高くて当然なのではないかな?と思います。
身近なところで交流のあったウチの親戚から。
私が子供のころの構成で考えてみます。
伯父一家が5人、伯母が独居で1人。又従姉妹(またいとこ=はとこ。
いとこの子ども同士のこと)一家が3人。これで13人。
「5人に1人」なら、親戚中にあと一人はいる計算です。
昔から共感力高めで正義感旺盛な、それっぽい従兄が一人いますが、
コミュニケーションのタイプは外交的、人気者タイプ、冒険野郎で、
どちらかといえばHSSのほうがあてはまりそうです。
私は小学校に上がる前、この従兄がとても好きで、彼には安心して懐けました。
親戚の集まる場面はいつも気が重かったですが、
この従兄と会えるのは内心楽しみでした。
従兄と話せる時間は、気乗りしない親戚イベントの中の
ご褒美タイムだった気がします。
家庭内では、私の兄弟がHSPらしいです。
音感を含めて聴覚がとても繊細です。空気読みすぎな感あり。
傍から見ていると、すべてにおいて準備万端で緊張する必要はなさそうなのに、
人前に出る時と本人はあがってしまうそうです。
癒しのもとは動物、音楽。自営。
私の育った家庭でHSP度が既に50%だったということです。
私の母親も無自覚なHSPぽくもありますが、
これは現時点では主観が入りすぎるので保留しておきます。
もっとさかのぼると、母方の祖母が、
晩年の愚痴と不平の多さからみて、ネガティブなものをぜーんぶ溜め込んで
無自覚に発散していたHSPだったかな~とも思います。
行動面も引きこもっていました。60過ぎくらいから交友関係ナシ、TVが友達。
音楽と和裁に才があり、娘時代には三味線をずいぶんとよくしたようです。
子ども時代は身体が弱く、20歳まで生きないだろうと言われたそうですが、
堂々80過ぎまで生き抜きました。
愛情は溢れんばかりにもっていた人で、身内にはただただ愛情を注ぎました。
私もおばあちゃんは大好きでしたよ。
子どもとしてしか祖母とは交流していないので、祖母の件も保留にします。
又従姉妹一家では、又従姉妹(はとこ)がHSPではないかと思います。
機会があれば本人に確かめてみたいところです。
彼女は、中学生のとき突然学校に行かなくなりました。
理由は誰もわかりませんでした。当時大学生だった私にお呼びがかかり、
私も理由を最後まで尋ねることなく、3年近く彼女の家庭教師をしていました。
ほぼ一日も授業に出席せず私との学習だけで、学校のテストの成績は
通学しているクラスメートよりよく、学校側が理解してくれたため、
中学校は卒業できました。
こうしてみると、母方の家系にHSPらしい人物が多い印象です。
(父方の親戚とは不思議と交流がなく、考える手がかりすらありません。)
3÷13で23%くらい。HSS風の従兄を含めれば4÷13で30%、
ちょっとHSP率高めかもしれません。ユングによれば4人に1人が内向的で
これがHSPとの類似が多いそうですから(イルセ・サン2016『鈍感な世界に生きる敏感な人たち』)、あながち外れでもないでしょう。
HSPが5人に1人、という通説を少々いい加減ながら検証して
自分の親戚関係を見渡してみて、
私はなんとなく「守られている」と感じました。
先祖代々、この血筋は群れの中に敏感な個体を維持しつつ
生き抜いてきたのかなぁと思うのです。
親戚は、同じ根に咲いた花なのですよね。
昔であればあるほど、繊細な個体は生きづらかったのかな?
反対に「なんでもあり」な雑さの中で生きやすかったのでしょうか?
これからのHSPはどんどんラクになるといいよね。
広い意味での「お仲間」
交流のあるあなたの親戚10~15人を思い浮かべてみて、
あ~、あの人HSPっぽいな…と思う人、いませんか?
苦手な親戚の集まりで、この人といると比較的ラク、という人物です。
(だからといって一緒にいてラクな人がHSPというわけではないのが
面白いところですけど!)
HSPといっても、ご存じのとおり、イルセ・サン版のセルフチェックでは
50~140のHSP度の幅があります。
私は120~125くらいです。
兄弟姉妹や親戚にHSPがいそうだといっても
無限に多様な個性とHSP度の差がありますから、
もちろんそれだけで超仲良し!とか身近な理解者!になるとは
限りませんが、広い意味でのお仲間は意外と近くにいるのではないでしょうか。
繰り返しますが、
孤立している・孤独だ、という個人の感覚はもっともであるとして、
HSPという「気質だけ」で見ていけばご同類はそこそこいるかもよ、
そうすると孤立感に変化があるかもよ、ということが言いたいのです。
周りの人にみんなラベルを貼ってみよう「ではない」ですから、
ここはくれぐれも誤解のないようにお願いいたしますね。
HS(Highly Sensitive)という気質が、ヒトだけでなく
多くの生物に見られる特徴である、という論拠を引用しようと
思っていたのですが、どの本のどの箇所だったのか見つかりません(T_T)
アーロン博士の本だったと思うのですが。
正確を期して出典を探しているうちにどんどん記事の鮮度が落ちるので、
ゴメン、今回は論拠ナシで記事更新を優先します。
完全主義からの脱却なの~と都合よくいいつつ退却します(笑)。
それぞれのキャパシティに合わせて、季節のイベントを楽しめるといいですね。
今回も、読んでくださってありがとうございます。